第五話:バイオレンスグリズリー

 

 四月一七日、午前六時。

 

 こそこそと、玄関に入ってきた。誠の前には目元を痙攣させる美殊が仁王立ちしていた。

 

「おかえりなさい。誠?」

 

 声音も完璧。絵に描いたように優しい美殊に、誠はか細い悲鳴とイヤイヤするように首を激しく横に振っていた。

 

「朝ご飯の準備も終わっています。あぁーそうそう。とりあえず、朝帰りの理由を十秒だけ聞いてあげます」

 

 言い終えた直後。誠は真剣な表情で頷いて、一気に喋り始めた。藁でも縋る勢いで。

 

「いや、だって? 昨日の晩は凄く綺麗な満月だったから、眠気も吹っ飛んでさ? だから、ちょっと夜中の散歩をしようって」

 

「五――――六――――」

 

 無慈悲にカウント。そんな言い訳は欲しくなかった。

いつもなら腕立て伏せを終えて、鉄棒にぶら下がって腹筋を始めている段階の時間帯だった。珍しい事もあると、美殊は起こしに二階の部屋に入ると、窓は開けられてカーテンが朝の風に舞っていた。蒲団には案の定、誠はいない。

 昨日の襲撃者の仕業か? 〈聖堂〉の悪魔狩り機関か? 〈連盟〉の超人研究者か?

どちらにしても最悪である。

 慌てて二四匹の使い魔をこの町に放って、魔力が続く限り探索していたが、今その張本人がノコノコと玄関の前で、言い訳を言っている。

そして、薄っすらと(くら)い提案が浮かび上がる。

 身体で判らせたほうがいいのだろうか?

どれだけ誠を心配しているかを刻み込もうか?

去年の誕生日をすっぽかされた時と、同じ目に合わせようか?

 

「くっ――――だって、綺麗だったんだぞ? 月も、空も、町も? あんなに綺麗だったのに普通だって今まで無視してきたんだ。車両で殺され掛ける前までは――――」

 

 項垂れる誠は、まるで拙い言葉が大人に通じないときに見せる幼児を連想させる。

大きな身体をして、子供のように上目遣いで美殊を見ていた。不謹慎にも可愛いと思ったが、すぐさまセリフを反芻する。

 

「まさか・・・・・・車両の出来事を覚えているの?」

 

 信じられなかった。では、あの巨大で怒りの具現ともいえる魔神は、誠自身の意思。暴走しているとタカを括っていたが、大きな間違いだと気付かされた。

 

「全部を? 覚えているの?」

 

「ああ。あの大男をやられた後かな? 眠っている間、何だが鎖と牢獄じみた場所でもがいている夢を見た。締まる鎖を叩きのめす夢を見ていた。今まで、鎖が群がる中心を・・・・・・・・・鉄格子の外側で眺めていたけど、今回は・・・・・・・・・鉄格子の内側だった。おれは封じられていたんだな? いや、違う。おれの一部を封じていたんだな? いや、それも違う! 一部だけ・・・・・・・・・残していたんだろ?」

 

 誠は素足で玄関に上がり、美殊の両肩を掴んで揺る。

答えを言って欲しいと言う切実な瞳に負け、美殊は視線を反らした。

 

「・・・・・・」

 

 無言の肯定と受け取り、今までの誠には考えられない機智と敏感さを露にし、さらに問い詰める。

 

「それに、おれの部屋にある札。あれはおれを監視するため? 隔離するため? それとも拘束するため? おれの心配したためか?」

 

 一部の封印が解けただけの状態。その初見で、札の事までばれてしまっていた。

 美殊の内側が弁明を叫ぶ。

 私は誠を見守りたい、守りたい。ありとあらゆる傷付ける者から、守りたいと思っている。だから、精一杯にやったと叫ぶ。認めて欲しいと。この努力を認めて欲しいと。

それ相応の見返りを要求すると叫んでいる。

 己の心を暴露するのは容易い。容易く五年間の関係を倒壊するほど。だから、事実を語る形で倒壊を回避する。

 

「全ては京香さんの指示に従いました」

 

 無機質で無感動な声音が、美殊の喉から発せられた。理性と本能の自傷行為に慣れた美殊にとって、いつもの一瞬。五年間続けた、なれたものだ。だが、誠の場合は違う。

愕然とした無機質な表情だった。打ちのめされて、途方に暮れる幼子の失望。信じていた何かが、打ち砕かれた絶望感がその眼で語たる。

 

「どうして?」

 

「それよりも兄さん? 朝食が冷めてしまいます。それから今日は学校に来てもらいます。オカルト部の部長が昨日の事について、詳しく訊きたいそうです」

 

 自分でも、何故こんな声音なのかと思う。機械で合成したと思うほどの無感動。

いっそう、本当に機械のような心が欲しかった。その代わり、全てを嘘偽り無く答える機能が美殊は欲していた。切実に。

 

「・・・・・・」

 

 全てを諦めたように一つ頷いて、誠はドロだらけの足で居間へと向かっていった。居間へと続くドロの足跡を見て、今更に傷付けたことに美殊自身が・・・・・・・・・傷付いていた。

 

 数十分後、シャワーを浴びてきた誠はいつものように卓袱台に座り、何時ものように仏壇にご飯を盛っていた。

今朝のメニューは小鉢にかつおぶし鰹節を振った納豆。ウィンナーを添えた目玉焼き。何時もの比率にした白米と玄米のご飯。ワカメ、豆腐、昨日の余りだったカボチャの具沢山な味噌汁。

 それらの料理を、今までに無い沈黙の中で食する。

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 二人が経験したことが無いほど無言のまま、事務的に咀嚼して、登校の準備を整えて玄関を出る。

無言のままの学校へ向かうその通路。

朝の部活へ向かう体育会系の生徒達。その小さな群れの中で、誠と美殊は並んで歩いている。私立の黄翔高校の校則に「休日、私服で学校へ来てはいけない」とは書かれていない。

美殊の服装は白のシャツにワインレッドのパンツ。

誠の服装も私服で、白のロングTシャツにはアクセントのトライヴァル模様。黒のジィーンズと、学生服と変らない色彩。毎回毎回、白と黒しか着ない誠に、カラーバリエーションを考えろと美殊は毎日のように言っているが、一緒に服を買いに行ったりしても必ず、白と黒。

 パンダじゃあるまいし、何故、ああまでその色に統一されているのかと思い悩んでしまう。

無駄なことを思考するのは、誠が存在も感じさせないほど一言も口にせずに並ぶ性である。

 

「今日の晩御飯は、何がいいですか?」

 

 久しぶりに美殊から口を開く。しかし、沈黙で返された。

 気まずさのまま、ちらりと並んでいる誠を見遣る。

 

「・・・・・・ちょっと」

 

 お約束のようにいなかった。

 来た道を振り返ると、距離的に七メートル。そこに誠が居た。それも、一人の男子生徒の肩を掴んで笑っていた。肩を掴まれている金髪の男子生徒は涙目で首を振っている。金髪の男子生徒と向かい合う形に居るのは、友人で誠とも面識のある戸崎晶に間違いなかったが、その彼女も金髪の不良学生同様の恐怖を顔に刻み、歯を鳴らしてガタガタと震えていた。

 頭を振りながら、美殊はもと来た道を引き返す。すると、よく聞こえてきた。金髪不良の絶叫が。

 

「だから! ィビギィッ? ごめんなさィィィィいたたい痛いです!」

 

「もう良いです! 大丈夫です! はい! 怪我はしていません!」

 

 不良が断末魔を。戸崎晶は命乞いのように叫ぶ。

 それだけで、大体のシナリオが美殊は推理が出来る。つまり、視界に晶が不良に絡まれているので助けようとしている。

 昔から誠はいつでも何処でも、友達が巻き込まれている事態に首を突っ込む。目に入った理不尽なものを無視出来ない性質である。誠自身、そこらへんにいる不良の一段階は上の体力と、父親の日課であるトレーニングを自己流で五年間続けている。

さらに性質が悪いのは、友人知人に危害を加える者には、容赦が一欠けらすらない。冷たく思考し、徹底する。怒ると、名も知らない不良の顔面を、脊髄反射で殴るほどに。

今は封印の束縛が一つ無いために、普段の二乗分は性質が悪い。

 

「謝る人間はおれじゃないだろ? 晶ちゃんに、だろ?」

 

 誠は晶の言葉を黙殺して問い掛ける。背後からとてもとても優しく、囁いていた。微笑から覗ける犬歯が、異様に鋭く見えた。

見たところ怒りのレベルとしては低レベル。しかし、知人の敵と認識し、冷静に破壊することを目的としているようだ。冷たい怒りの炎を灯す眼光を細めている。不良少年の肩が、ピキピキと脆いガラスのような音を発し始めた。肩の筋が限界に突入する。

 

「ヒビビ! ヒビが! オレおれ折れる!」

 

 朝の通学路に断末魔が響き、部活に行こうとする通行人たちの目がチラリと向くが、すぐに背けた。触らぬ神にタタリ無し。しかし、肩を握られている不良少年はタタリどころか、魔人に呪われていた。握られている肩から、日常生活では聞かない音が物語る。

不良少年が今まで聴いたことが無いほど、優しい声音が背後でさらに囁く。

 

「折るさ」

 

 何の語弊も躊躇も語気も、そこには無い。

圧縮しようとするその誠の手を美殊は掴んだ。何時もの冷静で抑揚の無い口調のまま。

 

「止めて下さい。道草をする暇はありません」

 

「うん?」

 

誠は美殊を見遣って金髪少年の肩を離す。その場で不良少年は、ヘナヘナと崩れ落ちた。肩を抑えながら嗚咽で嚥下する。美殊はそれを見て、『自分のやる分』が少ししか無いことに小さく舌打ちをした。

 結局の所、美殊も誠と同じ価値観である。自分の大切なものを、傷付けるような存在は許さない。しかし、誠は狂暴だが、庇護する。対して美殊は溺愛から歪み、嫉妬と化して物とする違いがあった。

 

「晶も大丈夫?」

 

 怪我はあるかと訊くと、首を勢い良く振った。本当は肩を押されたときに、転んで掌を擦りむいていたが、怪我の内に入らないことにした方が無難である。が、その怪我を機微に反応する誠の目は、稲妻めいた素早さで不良を射抜く。その眼光を見た不良少年の顔面が蒼白し、逃げ這うように後退する。

残虐な極刑に処すかの如く、一歩足を踏み入れようとするが、美殊の痛い視線にも気付いて踏み止まった。

 

「まぁ、たいした怪我は無いよ。それより、誠さん?」

 

「うん?」

 

 呼び掛けに、視線を移す誠。怪訝とした表情に晶は困ったように頬を掻いた。

 

「ありがとう・・・・・・って言いたいですけど、やり過ぎっすよ?」

 

「そうかな? まだ足りなかったよ?」と、誠が平然と返す。

 

「そうよ。あとは私の分よ」それを訊いて不良学生はもう悲鳴を上げ、脱兎の如く走り去っていく。肩など構わずに走り去っていく。そうでなければ、命すら危ういから。

 

 そんな情けない背中を美殊は眺めつつ、溜息を吐いた。

 

「元気いいな」誠は続ける。「まだ足りない位だろ?」笑顔で言われて、戸崎晶の苦笑は痙攣した。

 

「止めが刺せませんでした。兄さんが痛め付け過ぎるから」

 

 呟く美殊に、晶はどう贔屓してもさっきのセリフが、止めのように感じる。溜息と頭痛を提供する二人の幼馴染みに、盛大に溜息を吐いた。

 解った事。いや、晶としては五年前から解っていた事なので、再確認だった。ショッキングな事でも何でもない。

 

「お前らの敵には死んでもなりたくないね」

 

 戸崎晶は心底、本音を呟いたが、二人は首を傾げてマジマジと晶を見遣るだけだった。言われた意味が理解不能と言わんばかりに怪訝とした表情。しかし、何の躊躇も無く、「アキラは間違っても敵じゃないわ。友達でしょ?」その言に続く兄は、ニパッと笑って「だな」と、返した。

 

「・・・・・・・・・・・・はぁ〜解りましたよ・・・・・・それよりも学校に用があるんでしょ? さっさと行こう」

 

 言われたセリフの照れ隠し、何とか気を取り直して晶は言う。それにもかなりのエネルギーを消費したのか、溜息が連発した。晶と美殊が前を行き、その後ろに誠が続く。

 

「アキラ?」

 

 いきなり横に歩いている美殊が声を掛けてきたので横を向く。

 

「誠に助けられたからって手を出さないでよ?」

 

 表情は緩やかな微笑。ただし、小声で威嚇する友人を見て、晶は殺気よりも呆れ果てそうになる。狂暴の権化に好意を持てるわけがない。

 確かに、誠は一見して人畜無害でパンダみたいな、可愛い愛嬌がある。しかし、所詮は熊の種類。白と黒でカラーリングした所で、熊であることは変らないのだ。それも、とびっきりの人喰い灰色熊を白黒のカラーリングをした、詐欺である。

檻の中だからこそ、可愛いと言える余裕が生まれるが、何の束縛も無い熊を可愛いと感じられるほど、晶にそんな胆力は無い。そんな胆力ある女など、きっとこの義妹以外にいまい。

 それ以外にいたとしたら、その人もご愁傷様である。

 戸崎晶の中で真神兄妹とは敵にすれば最悪で、味方なら罪悪を感じる存在で、とても付き合いに困る人種だ。

 

 

 

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